担降りしました。



伊野尾慧くん、25歳のお誕生日おめでとうございます!



そんなわけで(?)キリよくいのおくんが25歳をスタートさせた今日から、嵐・二宮くんからいのおくんに降りることを決めたという話。いわゆる担降りブログである。はちゃめちゃに長いので要注意。
長々と人の担当がどうかなんて見たくないわ、という意見があることは重々承知だが、自分の中だけでふっと降りるには嵐と二宮くんの存在は私の人生にとって大きすぎた。自分の気持ちを整理する意味も込めて、自己満担降りブログを書こうと思う。



私が二宮くんを好きになったのは2004年のことだった。きっかけは詳しく覚えていないが母が録画してみていたDの嵐だったと思う。加えて24時間テレビ南くんの恋人もリアルタイムで見た記憶があるのでそのころからじわじわと私の意識に入ってきたらしい。二宮くんのゆるさ、頭の良さ、何でもこなす器用さに惚れた。それから二宮くん大好き!!!な日々が始まった。

始めて生の二宮くんを見たのは舞台「理由なき反抗」だった。一緒に嵐にハマった母のおかげで小学生から現場に足を運んでいる。ビギナーズラックを存分に発揮し当日券ながらとてもいい席だった。二宮くんはテレビで見るよりずっと身体が大きく男らしく、ますます彼が好きなったのを今でも覚えている。

それから毎日嵐にどっぷり浸った。大好きで大好きで仕方なかった。特に二宮くんを見る目は完全にリア恋のそれだったと思う。幼く見える顔、左利き、大きすぎない身長、小さい手、優しい声、笑い方、鋭い言葉の裏にある思いやり、聡明さ、運動神経の良さ、人一倍気遣うところ全部が大好きでキラキラして見えていた。

私は彼に夢を見ていた。ずっと思い続ければ可愛くなれば大人になれば、必ず出会えると信じていたし同担拒否をプロフィールに掲げたこともある。中学生で思春期だったことも要因だろうが、二宮くんを好きだったこの年月を振り返ると、同時にどうしても重苦しく彼に依存していた自分を思い出さざるをえない。彼を想っていた時間はただキラキラした思い出だけではなく、好きすぎて苦しい少し濁った思いがいつでも混ざっている。

もちろん二宮くんだけではなく、嵐5人のことがどんどん好きになっていった。



それから少し年月が経ち、嵐の大ブレイクが始まる。近所の兄ちゃん5人組が国民的アイドルになっていった。この頃になると熱愛報道等を経た私は二宮くんを男性ではなくアイドルとして見れるようになっていた。
そして今となっては諸々吹っ切れたが、ブレイクの過程にいる間はほんとうに苦しく何度も泣いた。アジアツアーが決まったとき。ドームコンサートばかりになったとき。お茶の間用の5人を見たとき。チケットがとれないとき。嵐のファンはマナーが悪い、のイメージがついてしまったとき(元々はメンバーが褒めてくれるほど嵐担はマナーがよく誇りに思っていた)。

何度変わってしまった環境に凹んでも、変わらない嵐に救われた。テレビで見る嵐ははっきりとキャラ付けされ、本人達もそのキャラクターを全うしていてこれ本心か?と思う発言が続いたが、インタビュー等を読むと、彼らはブレイクする嵐を寂しく思うファンがいることも十分わかっているようだった。それでいてとびっきりの愛と安心をくれる、ファンの心を掴んで離さないグループなのだ。

5×10で「ありがとう」を歌われた時には本気で泣いた。彼らの言葉に生かされ、彼らが笑っていてくれることが私の頑張る糧だった。

彼らのあたたかさは何年たっても変わらない。もちろんそれは重々承知しているのだが、次第に露出の多い国民的アイドルを追いかけるのがつらくなってきた。物理的に露出を追えなくなり知らないことが増えたのに加えチケット争奪戦のせいでオタク同士に軋轢が生じはじめた。コンサート当落結果を気軽に聞けず、当たったとSNS書けば無神経だと批判される環境。実際自分が全滅した時には多ステする赤の他人を恨んだりもした。軽くトラブルになったこともある。次第に、私は少数の内輪の友人だけと付き合うようになっていった。

これは私の感覚なので全員がそうだと言うつもりはないが、いくらアイドル自身が魅力的であっても、コンサートに行けない+オタク同士がギスギスしているようでは気持ちも冷めていく。みんなが行きたい公演に参加でき、「嵐かわいいね♡」と和気あいあいと出来た環境は変わってしまったのだ。
二宮くん自身も自分の気持ちをごまかして話すことが増えたように感じて、なに考えてるかわからないなぁと思うようになった。念を押すがあくまで私の主観だ。

時に学会の予定を変更させてしまうほどの嵐の影響力(とオタク)を少し引いた目で見てしまっていた。そんな時に私の意識の中に入ってきたのがHey!Say!JUMPだった。


元々、timeでご挨拶にきたくらいだし名前や顔は知っていた。唯一何回顔みても覚えられないな〜と思っていたのが実はいのおくんだったのだが、この人に惚れたわけだから人生はわからない。ヒルナンデスの有岡くんを見て「ちょっとググってみようかな」なんて思ったのが全ての始まりだった。

有岡くんの元気さアイドルさに惹かれJUMPを調べていると仲良しエピがたくさん。メンバー同士の関係性や人間性の観察が大好物の私は、曲を聴くよりパフォーマンスを観るより先にエピをググりまくりyoutubeでトーク動画を見漁った。キッカケが有岡くんなのでもちろん有岡くんを中心に据えて。すると有岡くんととんでもないコンビネーションを発揮する人物がいたのだ。いのおくんである。なんだこの2人の関係ただならんな…絶対幼馴染に近い何かがあるぞ…と感じいのあり沼にズブズブズブ。

いのおくんが気になり調べていると、明大建築学科卒、ゆるい、と見せかけて努力家、天使のビジュアル…と出てくる出てくる好きになるしかない要素が。本当に疲れた時は「疲れました」って書かれたTシャツ着るエピあたりで負けた。つ、掴めねぇ……。

一万字も早い段階で読んだが、JUMP全体にもまとまってきた感じが見てとれてこれからの成長にワクワクした。デビューから年を重ねた現在の、メンバー自身グループが好きだという空気感に惹きつけられたのだ。この原石に早くから気付いていらっしゃったJUMP担の先輩方には本当に頭があがらない。


ここで浮上するのが担降り問題である。これまで他Gのコンサートに何度も足を運びCDを聴き漁っていたが、あくまで二宮担として参加しておりだれかに降りるなんて考えたこともなかった。それほど二宮くんが自分の中心だった。
しかしJUMPと出会った時には自然と担降りが頭にちらついていた。それは自分が、好き好き一直線!になると他の人が入る余地がなくなる人間であり、嵐への気持ちが弱まったところでJUMPくんと出会ったからだろう。
だがそもそも誰か一人が特別に好きではなかったので担降りは後回しにし、ひとまず二宮担としてJUMPを愛でてみることにした。二宮担になった経緯が自然の流れで全く迷いのないものだったので、わざわざ担当を誰にするのか決めるようでは何か違うと感じたのだ。

二宮くんの担当を降りる。やっとこのあたりで担降りがどういう行為なのか冷静に考えはじめた。二宮くんに捧げ、愛し、時には泣かされた10年間の思い出を過去のものにする。考えはじめると途端にさみしくなった。
さらに私は嵐にとてつもない信頼を置いている。とってもファンの気持ちを考えてくれる彼らは動揺するような新しい試みをしても必ずフォローの言葉をくれるし、結局のところ全力で楽しんでいる彼らがすることはすべてが正義である。優しさも向上心も持つ嵐はもっともっと新しいステージに行ける。そばで見ていなくていいのか、と自問自答の日々だった。

そんななか嵐担の友人と話す機会があり今までの嵐とこれからの嵐について真剣に話をした。そこで気付いてしまった。私は嵐の過去ばかり愛でてしまう懐古おばちゃんだった。これから見せてくれる景色にワクワクするより、これまで見せてくれた思い出に浸るほうがずっとずっと楽しかった。これでは嵐にとってプラスなファンではない。



そんな時さらにいのおくんを意識するキッカケになった出来事がある。ある夜ふとしたことから少し心細い思いを思いをしたことがあった。そのときに頭に浮かんだのがいのおくんの顔だったのだ。安心したし救われた。夢に出てきて意識しはじめるって少女漫画か!と突っ込みたくなったし、改めて文字にすると我ながらくだらないと思うがこの夜からいのおくんを特別な人として見始めたのは間違いない。

頭の回転がはやく、しなやかでありながら芯がブレないいのおくんはとっても安心させてくれる。たとえ朝突然、宇宙で目覚めたとしても隣にいのおくんさえいれば落ち着きを取り戻せる気がしてくる。

それからというものいのおくんが発光しているのかと思うほどキラキラしてみえた。自然と目で追い、知れば知るほどもっと知りたくなった。慧という名前さえ愛おしい。いのおくんの身体の一部になりたいと思ってしまったし、とにかくこの気持ちを無視することは難しくなった。まるっと恋に落ちたから。猛スピードで転げ落ちてしまった。


ついに二宮くんを好きな気持ちよりもいのおくんのことを知りたい気持ちの方が勝ってしまった。というよりもはや二宮くんへの気持ちは家族のようなものになってしまって今さら色々と検索し情報収集する気になれなかった。知らない情報があっても自分の中の二宮くんがいればそれでいい。薄々気付いてはいたが、二宮くんを新鮮に好きでいるための行動に力を注げなくなっていた。

最初に書いたように、二宮くんの存在は私の人生の中のほとんどを占めている。たとえばあなたといた日々を記憶のすべてを消し去ることが出来たとして、もうそれは私ではないと思う。左利き、身長168cm、6月生まれに無条件にキュンとするように育ってしまった。溢れんばかりの愛と幸せをくれた。二宮くんの担当でいられたこの年月を誇りに思う。

しかし「担当」として内側から応援することは限界を感じ始めた。JUMPと出会ったからどうこうではなく、以前から感じていたが目を背けていた事実である。それは二宮くん本人だけではなく、世の中やファン環境いろいろな要因がごちゃまぜになった結果だ。(あえて言わせてもらうなら、近年のバラエティで「出来ない担当」なのは心底寂しい。本当はやればできる子なのだよあの子。)
これからは外側から客観的に、もっとライトな目線で嵐と二宮くんを見守るつもりである。活動を逐一追っかけるのではなく、いつでも優しく心の中にいてくれるヒーローとして二宮くんのことを好きでいたい。都合のいいこと言ってごめんなさい。



それよりも、いま一番、好きと言いたい人。いのおくん。

まだまだ知らないことだらけのいのおくんを知ることはとても新鮮でキラキラしている。飽きる気配がまるでない。関東ローカルに嘆いたりCDやDVDを買い集めたり過去の発言を読み漁ったりするのがとんでもなくたのしい。

知りたいと好きが毎日溢れ出して、「担当」と呼びたくて仕方なくなってしまった。まぶしすぎる彼のこれからを一瞬一瞬、出来ることなら瞬きもせず全部まるごと見ていたい気持ちでいっぱいだ。もしこの重すぎる気持ちを本人に伝えられる機会があったとしても、へらへら〜っと軽く流されてしまうんだろうな。そんなところもたまらなく好きだ。



まだまだ成長途中のHey!Say!JUMPを見守れること、無限の可能性を秘めたいのおくんのことを堂々と「好き」といえることがこの上ない幸せだ。きっともっと幸せな日々が待っているだろうと確信している。


それから、私はJUMP担いのお担の先輩方に聞いてみたいことがたっっくさんある。これまでの彼らのお話を聞いてみたい。同じように最近好きになったJUMP担さんとも語り合って萌え転がりたい。
まだまだ右も左もわからないJUMP担ド新規なので、ご迷惑でなければ色んなことを教えてください。よろしくお願いします。




そんなこんなで今日、いのおくんの担当になることに決めました。彼の25歳初日から瞬きをせずに見ていようと思います。

嵐とJUMP、これまでの応援の仕方と実質変わらないのだと思うけど、けじめをつけるためにブログを書き、気持ちにきちんと名前を付けることにしました。長々と見てくださった方(いるかな?笑)ありがとうございます。



Hey!Say!JUMPくん、JUMP担の皆さま、それから伊野尾慧くん。これからどうぞよろしくお願いします。


こぼれるような笑顔の君に早く会いたい!