見てね!来てね!の春

 

2015年もあとわずか。今年はHey!Say!JUMPに出会えた革命的な年だった。しかし私は、この春大好きな人にとって大きな大きなターニングポイントであったであろうお仕事を観ていない。

 
初主演舞台「カラフト伯父さん」だ。
 
難しいことではなく単純に、純粋に、見たかった。この目で。直接。紙面でしか知らない「徹くん」に会いたかった。座長として、がむしゃらに頑張っていたいのおくんにも会いたかった。
ずっと小骨が引っかかったような感覚が私の中にいる。後悔とも、悲しみとも、嫉妬とも、罪悪感ともすこし違うチクリとした感覚。
誰も悪くない。舞台のお話を聞かせてくれる友達に嫌な感情を持ったこともなければ、過去の自分を責める気持ちもない。いのおくんにだっておそらく責められないしそんな感覚だってまとめて受け止めてくれるような人だと思っている。
 
担当を名乗るのに資格なんていらない。だけど、この舞台をみていない私が、伊野尾担だと名乗ることに対して少なからず後ろめたさを感じている。
 
 
私は、舞台公演少し前にHey!Say!JUMPのことが気になり始め、公演中にTwitterアカウントを開設した。様々な伊野尾担の方の熱量のこもったレポがタイムラインに溢れ、沼にやってきたばかりで右も左もわからない私でさえも只事ではないとハッキリと感じた。
その時にはまだいのおくんは"気になる"程度だったけれど、観劇した人が口を揃えて大絶賛し、長年追いかけてきた方でさえ「初めてみる伊野尾君だった」と語るこの舞台は、彼にとってキーになるお仕事であることはよくわかった。
 
私は大阪公演の当日券に並ぶことにした。グローブ座では当日券に余裕があったと聞いていたので、入れたらいいなぁ、まぁ入れなくても仕方ないか、とふんわりした気持ちだった。
あの日は就活の真っ只中だった。昼間に面接を受け、梅芸付近のカフェで対策本を読んで時間を潰した。開演前に入り口前に並び、当日券の抽選開始を待つ。平日の夕方にも関わらず、おそらく200人近い、長い長い行列ができていた。それほど多くの人がいのおくんの舞台観劇を望んでいた。しかし結局当日券を手に出来たのはほんの一握りである2~3人だけだった。
 
私は大きく取り乱すこともなく、実を言うとショックもさほどなかった。そのままグッズ列の整備が始まり、とりあえずかわいいかわいい付箋だけは買って帰ってきた。グッズ列で隣に並んでいた女の子の涙がとてもとてもきれいだったことが今でも強く印象に残っている。
 
 
今なら「わかるよ、その気持ち……」と声をかけて一緒に泣いていたのかもしれないけれど当時の感情は「こんなきれいな涙を流してもらえるなんて幸せ者だなぁ、いのおくん」という他人事のような気持ちだった。このときにはどうしても入りたい!という強い気持ちがなかった。
 
本当に入りたければ、きっと何とでもする方法はあった。東京公演を観に行くことだってできた。金曜日に当日券に並んで、用事があったのと枠の少なさでそのあとは諦めてしまったけど調節すれば土日のチケットだってギリギリまで探すことができたはずだった。
 
もっと夏頃だとか、知ったときにはどうしようもない時期だったのなら諦めもついたのかもしれない。私の場合はそうではなかった。このお仕事の重要さを肌で痛いほどに感じていたのに。今の自分からすればもっとやりようがあったと感じるその隙が、おそらくこのモヤモヤした感情の原因だ。
しかしあのときの自分は間違いなく「まぁいいか」と感じてしまった。過去だとしても自分の感情は尊重してあげたいのでなんであのとき絶対行きたいと思わなかったんだ!!!と今さら責めるつもりはない。が、やはりチクリと刺す痛みが消えないので書くことで少しでも浄化できればなぁ、と。
 
 
らじらーは初回から聴いているし、書店ガールも最初から最後まで見届けた。見てね!来てね!の春に片足だけでも突っ込めたことは幸だろうか、不幸だろうか。できればもう少し前からいのおくんを知って、準備をして、この春を全力で駆け抜けたかったというのが本音だ。
 
とはいえ、その後のアルバム、ツアー、いのあり連載、カウントダウンコンサートなど現在進行形でいまをときめくHey!Say!JUMPと共に駆け抜け生きているいまこの時はこの時で、ひとつひとつのお仕事がかけがえのない宝物となっていることは間違いない。
 
来年の今頃にはチクリとした感情をすっかり忘れているくらいに、どうか2016年もいのおくんとHey!Say!JUMPが、素敵な、大切に思えるお仕事に巡りあえますように。
 
2015年、私にとっても忘れられない年になりました。